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ディープな世界をまわる丸山ゴンザレスの伝説!出身・学歴・若い頃を調査

ディープな世界をまわる丸山ゴンザレスの伝説!出身・学歴・若い頃を調査

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世界中の危険地帯やスラム街を渡り歩く丸山ゴンザレスさん。テレビ番組「クレイジージャーニー」での活躍は多くの人々を魅了しています。彼がどのような経緯でこの道を歩むことになったのか、詳しく知る人は少ないでしょう。

本記事では、出身地や学歴、若い頃のエピソードを通じて、その伝説の原点に迫ります。

目次

丸山ゴンザレスのプロフィール

丸山ゴンザレスさんの本名は丸山佑介で、1977年10月30日に宮城県仙台市で生まれました。

父親はJR職員として働いており、幼少期から父親に連れられてキャンプやアウトドア、遺跡や博物館を訪れる機会が多くあったようです。こうした体験が、後の活動の土台を築いたと考えられます。

丸山ゴンザレス伝説を生んだ活動

危険地帯ジャーナリストとしての丸山ゴンザレスさんは、テレビ番組「クレイジージャーニー」(TBS系列)で世界中のスラム街や犯罪多発地帯を渡り歩く姿を披露し、大きな人気を博しました。

YouTubeチャンネルでの発信

YouTubeチャンネル「丸山ゴンザレスのディープな世界」(旧:裏社会ジャーニー)は、チャンネル登録者数140万人を超える人気チャンネルとなっています。合法・非合法を問わず潜入取材を得意とし、裏社会に関する著作も多数発表しました。

伝説①フィリピン銃密造工房での緊迫体験

2014年末頃、『クレイジージャーニー』の取材でフィリピンの銃密造村に潜入した際のエピソードは、丸山ゴンザレスさんの伝説の中でも特に印象的です。銃マニアの大学生という設定で交渉に臨みました。

命がけの瞬間

工房の主である職人に冗談で「俺がもしドキュメンタリーを撮りにきたジャーナリストだったらどうする?」と質問したところ、「殺すよ」と返されたそうです。その場にこれまで経験したことのない静寂と緊張感が漂いました。「冗談だよ」という薄っぺらい言い訳で乗り切りましたが、タバコを吸うリズムが無言のキャッチボールとなり、考える時間を生み出したと振り返っています。

伝説②コロンビア麻薬王の兄への取材

コカイン生産地コロンビアで、伝説的な麻薬王パブロ・エスコバルの実兄であるロベルトへの取材を敢行したことも、丸山ゴンザレスさんの伝説を語る上で欠かせません。元マフィア幹部であるロベルトは、長時間待たせたり事前の質問リスト以外の質問を拒否したりするなど、優位に立って負荷をかけてきました。

修羅場

丸山ゴンザレスさん自身、多くの修羅場をくぐってきたにもかかわらず、ロベルトの眼光は「群を抜いて鋭かった」と語っています。この取材は、彼のキャリアの中でも特に印象深いものとなりました。

伝説③カンボジア地雷原での危機一髪

約25年前、カンボジアに地雷原が多かった時代に、本物の地雷原に間違って入ってしまった経験もあります。一歩間違えれば命を落としかねない状況でしたが、無事に脱出できたのは幸運としか言いようがありません。

出身高校と学生時代

丸山ゴンザレスさんは仙台育英学園高等学校の出身です。高校受験では第一志望の公立高校に不合格となり、スポーツ色の濃い私立高校へ進学しました。本人はこの経験を人生における「挫折」の一つとして振り返っています。

柔道部と空手道場での鍛錬

高校時代は柔道部に所属し、中学から続けていた柔道を継続しました。さらに学外の空手道場にも通い、格闘技の技術を磨いていたのです。こうした経験が、後に危険な地域で取材を行う際の自信や身を守る力につながったと言えるでしょう。体格の良さと格闘技の経験は、取材対象から舐められないという効果もあったようです。

同級生との意外な縁

仙台育英は大規模な学校だったため、当時は互いに認識していませんでしたが、お笑いコンビ・パンサーの尾形貴弘さんが同級生でした。

大学は考古学を専攻

丸山ゴンザレスさんは國學院大學文学部史学科に進学し、考古学を専攻しました。小学生の頃、映画『インディ・ジョーンズ』シリーズや漫画『マスターキートン』に影響を受け、考古学者に憧れを抱いていたのです。

遺物から社会を読み解く手法

大学では「遺物から社会を読み解く」という方法論に没頭しました。この手法は、後のジャーナリストとしての取材スタイルに大きな影響を与えています。証拠に基づいて仮説を立て、一次資料と照合するという研究者としての姿勢が、現場の伝聞に飛びつかず自分の目で確かめるルポルタージュのスタイルへとつながったのです。

大学院での学びと挫折

同大学の大学院文学研究科に進学し、考古学を専攻して修士(史学)の学位を取得しました。しかし、博士課程への進学は諦めることとなります。その理由の一つに、地元宮城県で発覚した旧石器捏造事件があり、この事件は彼に大きな衝撃を与えました。現在も國學院大學学術資料センター共同研究員を務めています。

若い頃の旅の経験

高校時代の終わり頃から、丸山ゴンザレスさんは青春18きっぷを使って日本各地を旅していました。大阪の西成などを訪れた際には「日本でこんな場所があるんだ!」と驚きを感じたそうです。

失恋をきっかけにした海外旅行

大学2年の夏休み、失恋をきっかけに海外旅行を決意します。タイへ2ヶ月間の貧乏旅行に出かけ、その後も休みのたびにインドやカンボジアなどアジア各国を巡りました。こうした旅の経験が、後の執筆活動やジャーナリストとしてのキャリアにつながっていくのです。

大学院修了後の苦難の日々

大学院を修了した頃は就職氷河期の真っ只中でした。丸山ゴンザレスさんは無職や日雇い労働で生活をつなぐ厳しい時期を過ごします。中には歌舞伎町で知らない人の話し相手をして1万円もらえる怪しいアルバイトなども経験しました。

測量会社でのアルバイト

測量会社でアルバイトをしていた際、大学時代の知人と偶然再会したことが大きな転機となります。当時の編集長にアジア旅行の話が注目され、執筆の依頼を受けることとなったのです。この出会いがなければ、現在の丸山ゴンザレスさんは存在しなかったかもしれません。

まとめ

丸山ゴンザレスさんの伝説は、考古学者を目指した青年が偶然の出会いと好奇心によって危険地帯ジャーナリストへと変貌を遂げた物語です。すべての経験が現在の活動につながっています。格闘技で鍛えた体と研究者の姿勢が融合し、唯一無二のジャーナリストが誕生しました。今後も彼の活動から目が離せません。

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